先週父を亡くした。
95歳大往生だった。
母を亡くした時には、初めて肉親を失う悲しみで激しく動揺したけれど、
来るべき時が来た・・・
って感じで、静かに父の死を受け止められた。
お通夜で語られた住職の言葉も、
よく理解できた。
この世は修行の場で、来世から新しい人生が始まる。
現世の名前は死と共に役割を終え、
戒名とは来世の名前である。
そして来世の過ごし方で数百年後に現世に人間に輪廻するかどうか決まる。
真言宗の坊さんなので、全ての仏教系宗教がこのような解釈してるかわからないが、俺はこのように受け止めた。
よく言われてる、
高いお布施納めれば長い戒名が与えられ、来世では良い生活ができる。
要するにお金が全てだよ、
なんてナンセンスな事は無いわけだ。
戒名はあくまでも「呼び名」にしかすぎない。
父親の生前の様子、
人の面倒見が良く手先が器用であった事を聞いた住職は、
「器」と「慈」の文字を戒名に含めていた。
最近、鏡を見て思うのは、
俺も歳取ったという事。
その老いた己の顔に、父親と母親の表情を見つける。
似てきたなぁと。
親の遺伝子は、子の俺にも受け継がれている。
自分を大切にする事は、親を大切にする事なんだなぁと、思うようになってきた。
金木犀の香りに包まれて父は旅立った。
この香りを感じる季節になると父親を思い出す事だろう。